これまで経験した事や人から聞いた話から、ゲームプロジェクトにありがちな落とし穴とそれらを避ける方法をまとめてみたいと思います。 これらの項目のいくつかはゲームに限らずソフトウェア開発一般にあてはまるとも思います。
パレートの法則は「80:20 の法則」などと呼ばれることもありますが、不思議なほど身の回りのいろいろな物事に当てはまります。 これによると、プロジェクト期間の最初の 20% で全体の 80% まで出来上がってしまうのだと言っています。 また、この法則は残りの 20% についても当てはまります。 20% の 20%、つまり全体の 4% のしごとをするのに、80% の 80%、つまり全体の 64% の時間を使ってしまうのです。
19 世紀のイタリアの技術者ヴィルフレド・パレートは、いろいろな国の富の分布を調べていてこの法則に気が付きましたが、それ以外にもさまざまな分野でこの法則が成り立つことを発見しました。
会社の売上の 80% は、20% の顧客がもたらしていた。犯罪の 80% は、20% の犯罪者によるものだった。 あらゆるところに 80 対 20 が現れていた(最近でもパレートの法則は多くのものごとに当てはまる。たとえばアメリカの医療費の 80% は、20% の人びとのために使われている)。
(ジェイムズ・オーウェン・ウェザーオール『ウォール街の物理学者』)
ゲーム開発に当てはめると、ルールや振る舞いを一通り実装して、キャラクターやストーリーなども含めて「だいたい出来た」状態を 80% と考えます。 すると、パレートの法則によるとさらにこれまでにかかった時間の 4 倍が完成までにかかることになります。
ゲームに限りませんが、最初の方は大きな問題もなくスムーズに進むのに、あと少しというところで難しい問題が続けて発生しなかなか完成しないという話は、誰しも身に覚えがあるんじゃないでしょうか。 これはパレートの法則を考えるとごく自然なことと言えます。 プロジェクトの後半でペースが下がってくると、開発のモチベーションも下がってしまいがちですが、この法則を知っていれば「そんなもんだ」と気持ちを切り替えて進められるように思います。
パレートの法則を別の方向から見ると、最初の 20% でどのような作業を進めるかが、プロジェクトが完成するかどうかを決める決定的な要因になることもわかります。 スケジュールの序盤でやらなくてもよい作業を始めてしまうと、いつまで経っても全体像が見えずに「だいたい出来た」には程遠い状態になってしまいます。 これもまた、ゲーム制作でもありがちなことです。 ゲームのルールを細かく決めずにかっこいいグラフィックの特殊効果を作り始めたり、全体のアセットの量も決まらないうちに外部のアーティストに仕事を発注してしまうとこうなります。
これは、プロジェクトそのものの問題というよりも、組織の体制的な問題に起因します。 与えられた予算を使い切って「目に見える」成果を出さないと組織の中で認められない場合は、無駄になることが分かっていてもこのような作業をせざるを得ない場合がたびたび発生します。 このようなプロジェクトはぼくもこれまで何度か目にしましたが、予算を使い果たしたところで、上の人からストップがかかることで終了します。 この場合は、プロジェクトの管理者も「全員が一生懸命働いたが思ったよりお金がかかりすぎてしまった」という風に言い訳できるので、全体としては丸く収まることが多いです。
開発チームに絶対に入れてはいけないタイプの人がいます。 これが「陰気な悲観論者」と呼ばれるタイプの人です。 「ぼくたちにそんな事できるはずがない。こんな事やっても無駄だ、うまくいくはずがない」などと悲観的な意見をうじうじと言い続ける人です。
「能力に見合ったことをやるべきである」「難しい仕事はプロに任せるべきである」「その程度のクオリティでは認められない」などと言われるともっともらしく聞こえてしまうこともあります。 その結果、チームは新しいことに挑戦しなくなり、プロジェクトが打ち切られない程度の最低限の仕事だけをするようになります。
ある社会実験によると、このタイプの人はプロジェクトメンバーの士気を低下させるのに絶大な効果があったそうです。
影響が最も顕著だったのは、陰気な悲観論者が加わったグループだ。フェルプスによると「あの映像は忘れられない。最初は全員が背筋を伸ばし生き生きしていて、やりがいのある課題に挑戦しようという意欲でいっぱいだ。それが 45 分が過ぎたころには、全員が机の上に頭を載せて、だらりとしていた」
(リード・ヘイスティングス、エリン・メイヤー『NO RULES(ノー・ルールズ) 世界一「自由」な会社、NETFLIX』)
「無能な働き者」というのは、もともとは「ゼークトの組織論」として広まったデマだそうです。 しかしデマといえども一定の説得力を持つように思います。 下に引用したまとめでは「愚鈍で勤勉」と呼ばれていますが、同じタイプを指します。
- 利口で勤勉 - 参謀に適している。
- 利口で怠慢 - 指揮官に適している。
- 愚鈍で怠慢 - 命令を忠実に実行するのみの役職に適している。
- 愚鈍で勤勉 - このような者を軍隊において重用してはならない。
無能な働き者は常に忙しそうにしていて、しなくても良いことをし、余計な管理をし、周りの人の仕事を増やし、せっかくの成果を台無しにします。
無能な働き者については、プロジェクト上の権限を下げることで役に立つ働き者に変身する場合もあります。 逆に、役に立つ働き者に権限を与えることで悲惨な状況になることもあります。
また「利口で怠慢」な人は人の手伝いをさせると大して役に立たなかったのにトップに立たせると一気に頭角を表すこともあります。 こういう人を見つけたらアタリです。
無能な働き者は「働き者」であるがゆえに上司から可愛がられる傾向があります。 そうするとそういう無能な人が出世してしまうこともしばしば起こってしまいます。 その結果、下にあげる「ピーターの法則」や「ディルバートの法則」のような事象が導かれてしまうこともあるかもしれません。
能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。したがって、有能な平(ひら)構成員は、無能な中間管理職になる。
(ピーターの法則 - Wikipedia)
企業は、事業への損害を最小限にとどめるために、系統立てて無能な者から管理職(一般に中間管理職)に昇進させて行く傾向がある
(ディルバートの法則 - Wikipedia)
何か新しいプロジェクトの計画を考えるとき、だいたい誰しもがある程度の余裕を持ってスケジュールを組むと思います。 しかしどういうわけか、計画を実行に移してしばらくすると必ず時間やリソースが足りなくなります。 これは下に引用した「パーキンソンの法則」と呼ばれます。
第1法則 仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する
第2法則 支出の額は、収入の額に達するまで膨張する
(パーキンソンの法則 - Wikipedia)
これはおそらく、はじめに取り上げたパレートの法則とも関係があります。 最初の 80% をすぎると予定の何倍も時間や人が必要になってくるのです。 しかしこれを初めから計画に織り込んでしまうと、必要の何倍もの時間を要求しているように見え、上司や顧客や資金提供者を納得させるのが難しくなります。 なのでこれはどうしようも無いと思ったほうが良いかもしれません。 結局のところ、最後には締切を後ろにずらすしか無いのです。
ここまで紹介した法則にはどこにも悪意が介在しないことに注意してください。 陰気な悲観論者や無能な働き者でさえ、実際には純粋な善意で「良かれと思って」行動していることがほとんどです。 個人的な恨みでもない限り、悪意を持って同じチームの人の仕事の邪魔をするような人はいません。 それを一言で表したのが「ハンロンの剃刀」です。
無能で十分説明されることに悪意を見出すな
(ハンロンの剃刀 - Wikipedia)
日本には「渡る世間に鬼はない」という言葉もあります。 悪者などいません。 したがって、仕事の邪魔をされたからと言って彼らを恨んではいけません。
多くの人の助けやアドバイスを受けることで、結果的に失敗への道を否応なく進み続ける結果になるということを表した「地獄への道は善意で舗装されている」という諺があります。
このことわざは、第2回十字軍を推進したクレルヴォーのベルナルドゥスが「地獄は善意や欲望(あるいは、「良い願い」)で満ちている」(“L’enfer est plein de bonnes volontés ou désirs”) と書いた (1150年ごろ) ことが由来となっていると考えられている。
(地獄への道は善意で舗装されている - Wikipedia)
これを確実に避ける方法はあるでしょうか? ぼくがこれまで経験したなかで、それを見つけることはできませんでした。
ひとつ明らかな、しかし現実的でない方法は、すべての決定を自分一人で下すことです。 ぼくがインディ(インディペンデント)にこだわる理由もそれでした。 映画にもごく少数の小さな劇場でしか上映されない独立系の作品がたくさん存在します。 配給会社の助けを借りずに映画を制作するので、完成しても全国で一斉に上映されたりはしません。 上映してくれる劇場を地道に探して交渉するしかありません。 そのかわり、口コミで評判が広がって最終的には国境を越えて全世界で公開されるようなものもあります。 東京にはそのような映画を上映する小さな劇場がたくさんあり、以前は国内外の小さな映画を毎週のように観ていました。
人に助けを求めてもいいですが、それでも何をどのように作ってもらうかは完全に自分でコントロールできなければいけません。 時にはせっかく作ってもらったものを泣く泣く捨てることもあり、その場合は相手にきちんと事情を説明して素直に謝ることが重要です。
ただ、ここまでさんざん他人の善意に頼ってはいけないと書きましたが、それでも最後に助けられるのはやはり人から受ける善意です。 ぼくのゲーム開発でも有償、無償を含めいろいろな人の善意に助けられました。 こういう人たちとのつながりを維持しながら次の作品につなげれば、いつかはもっと大きな作品も作れるかもしれません。